水底ノート

日々の覚え書きのようなもの

文章を書く筋肉

こちらの記事に感銘を受けた。

 

人格は書き言葉で変わる。隠居系男子 

http://inkyodanshi21.com/blog/12695/

 

「感銘を受けた」というとなんだかありきたりなんだけど、他に適当な言葉が見つけられないのでそう書く。
鍛えられた筋肉が美しい身体をつくるのと同じように、文章を書く筋肉のようなものがあってそれが人格を形成していくというのならとても納得のいく話だと思ったのだ。
さて自分の状況を振り返ってみると、ツイッターは細々と続けているものの、文章を書くことからは離れて久しい。そして気持ちを吐き出すベースがツイッターになると、考えさえも140字に制限されるようで、自分の思考が細切れになっている感覚があった。昔はもっとちゃんと書けてた気がするのに。

 

学生の頃は日記を書いていた。その日の出来事はもちろん、本当に様々なことを書き連ねていたので、日記というよりは雑記かもしれないが、少し暇があればとにかく書いていた時期があった。授業の合間に。バイトまでの時間に。ひとり旅の夜に。ただ自分だけが読むために。無印のA5の無地のノートにひたすら、1日で5ページも6ページも書くこともあった。今でいう「モーニングページ」に近いものがあったかもしれない。
その頃よく書いていたものの一つに、好きな文章の抜き書きがあった。元々は中学の国語の授業で、本や新聞や雑誌など(当時はインターネットはなかった)を読み気に入った文章を抜き書きするという課題が出たのが始まりで、それは中学を卒業してもずっと習慣化していた。
抜き書きは格言的なもの、励まされる言葉、気づきを与える言葉など色々あったが、ただ美しさに魅かれて書き写した一節もある。その美しさを感じる文章こそが、今の私の根底に息づいているのだと思うのだ。
本当に好きだった文章はノートが変わるたびに書き写し、パソコンを使うようになってからはEvernoteにも転記したりして何度も繰り返し書いたので、今でもその一節を口ずさむことができる。自分の書く文章への影響は言うまでもないが、思考を組み立てる脳内の言葉にも影響を与えていると考えれば、自分の人格の一部を成していると言っても過言ではないのだろう。

 

これから少しずつ、文章を書く筋肉を取り戻しにいこうと思います。あくまでも昔書いていた日記がベースなので誰かの役に立つわけではないけど、そっとインターネットの海に流したものがいつかどこかに届けばいいなと思いつつ。